5月号-受け取ることは与えること
今日は母の日ですね。みなさんはどのように過ごしていますか?
私の母は、母の日とかバレンタインデーとか、誰かが作った記念日というものには全く関心がない人でした。
それでも、私は母の喜ぶ顔が見たかったのでしょう。
小学校3年生くらいの頃、たしか熊のネックレスをプレゼントした覚えがあります。
母が喜ぶ顔を想像しながら、なけなしのお小遣いをはたいてプレゼントしたのですが・・・母は肩凝りが酷くネックレスを着けることが出来なかったのです。
それ以降もネックレスがダメなら他のものをといろんな贈り物をしましたが、なかなか気に入ってもらえることはありませんでした。
喜んでくれる顔を見たくて贈り物をするのですが、喜んでもらえないときにはがっかりしてしまいます。
受け取ってくれない母に腹を立てることもありました。
受け取っていない自分に気付く
与える大人になるためには、きちんと受け取れる大人に
大人になってからの私は、受け取ることへの申し訳なさと同時に、大人になりきれない自分への不甲斐なさも感じていました。
何も受け取ろうとしなかった母は自分を犠牲に、ただ与える人として徹しているように見え、私も同じようにならなければと思っていたからです。
しかし、母のように与える人にはなれず、そのことを申し訳なく思い、結果的に母を遠ざけるようになっていました。
「受け取れない」ことは、実は娘との関係でも起こっていました。
娘は幼少期、いつもいつも「ママ大好き」とお絵描き帳に書いたり言葉で伝えてくれたりしていたのですが、そのときの私は子どもが親に好きというのは当たり前、と軽い気持ちで受け取っていました。
しかし、娘が成長し私の気持ちに余裕が出来たとき、お絵描き帳に描かれたたくさんの「ママ大好き」という言葉を再び目にしました。
こんなにたくさん大好きと伝えてくれていたのに、その当時の私は全然受け取れていなかったということに気付いたのです。そこで初めて娘の気持ちをココロで受け取りました。
子育て中は、あっちにもこっちにも気を遣い身近にいる大切な人への気持ちを受け取っていないことがたくさんありました。
それは母としてしっかりやらなくちゃと必死に頑張っていたからこそです。
自分のことを後回しにして、自分がどうしたいのかなんて考えてはいけないものだと思っていました。
それは母の姿を見て感じていた、自己犠牲でした。
でも、大切な人の気持ちを受け取ることは、自分を大切にすることでもあったのです。
娘の気持ちをきちんと受け取ることは、私がかつて母に向けた「受け取ってもらえなかった気持ち」を大人になった私自身が受け取ることにもなりました。
娘の気持ちは私の気持ち。
本当は気持ちを大切にしたかったのに、いちばん粗末に扱っていたのは私自身でした。
それからは自分は愛されていると、受け取ることを許すことにしました。
今日は母の日、母がたくさん与えてくれた愛を受け取ろうと思います。
「お母さんありがとう!」
本当の関係づくりは、まず大切な人から「受け取る」ことから始めましょう。