6月号-向き合うということ
人と感情は切っても切れない深いつながりがあります。
感情そのものを人といってもいいくらい、私はとても大切に思っています。
私が幼少期だった頃のお話です。物をおねだりして買ってもらえず、癇癪を起こしたのを覚えています。 家はとても貧乏だったので、オモチャを買ってもらったことや洋服を買ってもらったことはほとんどありませんでした。 我慢する子は良い子と教えられ、我慢することを覚えました。
買えないという両親の事情が分かってきた頃、せめて我慢している私の気持ちに気付いてほしいと思うようになりました。
オモチャを買ってと駄々をこねることは、親を苦しめる行為だから辞めたものの、両親のために我慢している私の気持ちは、誰にも知られることなく心の中に影を残していました。
オモチャを買ってもらえないという残念な気持ち。手に入らない悲しい気持ち。両親にそっぽを向かれた淋しい気持ち。
大切にしてもらえないという気持ちを抱いても「どうせ人には分かってもらえないんだ」と思うようになりました。
大人になっても根に持っているなんて大人げない・・・なんて思う方もいるかもしれません。 が、多くの人が子どもの頃の未練のような気持ちを繰り返し繰り返し体験しているのです。
残っているのが良い感情ならさほど問題はありませんが、人と自分を切り離した体験は、後の人間関係に支障を来します。
それは自分が終わりにしようと思わない限りいつまでも続くのです。
「分かってもらえない」から抜け出す
共感する
子育てをしていく中で、私が「分かってもらえない」という気持ちを持っていたとき、
娘の話が全く聞けませんでした。私自身が我慢してきたため、娘も我慢することが当たり前だと思っていたからです。
それでも私は娘の気持ちを知りたくて、いろいろ聞きだそうとするのですが、娘は「ママに言ってもどうせ分かってもらえない」ということを口にしました。
そして「共感して欲しいだけ」と言われました。
2人が同じ土俵にいるときは、根本は同じ問題を抱えているといいます。
私たちは2人で「分かってもらえない」という土俵に立って背中を向けていましたが「共感して欲しい」という娘の言葉で向き合えた気がしました。
子どもの頃の辛い感情に再び向き合うことは、とても辛いことです。
しかし、目の前につながりたい大切な人がいるならば勇気を出してみましょう。
勇気を出したその先には、穏やかな温かい日常が待っているかもしれません。