7月号-気付きはすべての始まり、そして新しい扉


私は、自分に気付くことが大好きです。
なぜなら、それはまるで新しい大陸を発見するような感覚だからです。自分の中にこんな思いがあったのか、こんな願いが隠れていたのかと知るたびに、「まだ知らない自分がいるんだな」とワクワクします。
私たちは他人のことはよく見えます。
「あの人にはこんな才能がある」 「あの人はこんなことができる」 「あの人はこういう性格だ」
そんなふうに相手のことは分析できるのに、自分のこととなると案外見えていないものです。
むしろ、自分については気付きたくないことの方が多いのかもしれません。

気付きはすべての始まり

 

例えば、私が子育てをしていた頃のことです。
子どもたちによく、
「ママ、なんで怒ってるの?」
と聞かれることがありました。
そのたびに私は、
「怒ってない!」
と答えていました。


でも今思えば、怒っていたのです。
ただ、それを認めたくなかった。
私は「寛容で優しい母親でいたい」と思っていました。いや、もしかしたら「そうでなければならない」と思っていたのかもしれません。
だから怒っている自分を認められなかったのです。


本当は怒っているのに、「怒ってはいけない」と思っている。その結果、自分の感情そのものに気付かなくなっていました。
不思議なことに、私たちは「こうなりたくない」と強く思えば思うほど、その影に縛られてしまうことがあります。


怒りたくない。 弱くなりたくない。 嫉妬したくない。 人を責めたくない。

そう願っているうちに、その感情を感じることさえ禁止してしまうのです。
そして禁止された感情は消えるわけではありません。形を変えて現れます。

愚痴になったり、批判になったり、無気力になったり、引きこもりたくなったり。

だから私は、愚痴を言うことや批判すること、引きこもることを悪いことだとは思いません。
それらはむしろ、自分自身からの大切なメッセージだからです。
「ねえ、本当の気持ちに気付いて・・・」
そんな心のサインなのだと思います。

誰かの言動に強く反応するとき。 何度も同じことでモヤモヤするとき。 つい愚痴や批判が止まらなくなるとき。そんなときは、相手を見るよりも先に自分を見てみるチャンスかもしれません。

自分の中の何が反応しているのだろう。 本当は何を感じているのだろう。 本当はどうしたかったのだろう。
そう問いかけてみるのです。
気付きは時に勇気がいります。
見たくなかった自分に出会うこともあります。
でも、それは決して残念な発見ではありません。
むしろ長い間しまい込んでいた自分自身との再会です。

怒りに気付いたなら、怒りがあったのだと認めてあげる。 悲しみに気付いたなら、悲しかったのだと寄り添ってあげる。
そうして自分を知るたびに、人は少しずつ自由になっていきます。
気付きは終わりではありません。
気付きはすべての始まり。
そして、自分らしく生きるための新しい扉なのです。

 

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA